旅とごはんと日々の記録。

ねこを飼っています。

苦手な美談

悪いことをした人が「実は不幸な生い立ちがあって今は更生して真面目に生きています」という美談が苦手だ。という旨の発言を見かけて大いに頷いた。

 

「さんざん人様に迷惑かけてきておいてちょっと人並みのことすりゃやたらとホメられる。ふざけんな。人並みのことをずっと真面目にやってる奴が一番立派なんだ」

川田「火ノ丸相撲 5巻」集英社, 2015年, P113 手道伸心館師範 高荷志帆

 

赤の他人を傷つけたり自分の欲望のために搾取した人への報道で多い印象。更生の機会を与えることはとても大切だし、その不幸な生い立ちが起因している(かもしれない)ことも理解はできる。でもそれが悪いことをしていい理由にならない。被害を受けた側には本当に全く何の関係もないんだから。

何より、不幸な生い立ちがあり恵まれない環境で育たざるを得なかった人で、人に迷惑をかけずに生きている人はいくらでもいる。というかほとんどはそうだろう。

 

これは自慢だが私の両親は大変に尊敬のできる人で、私は真っ当な常識的な人間として育てられた。富豪や地主というわけではないが、一般的なサラリーマン家庭として何不自由なく、ものすごく恵まれた環境だったと思う。

そんな両親に育てられたからだと思うが若い頃から職場では「真面目だね」「礼儀正しいね」と言われることが多かった。まぁ、真意はわからんが。

そんな中で「あなたは両親に大切に育てられたって感じがしていいよね。うちなんて大変でさ...」と卑下するように言われることもあった。何だろう、気づかないうちに自分の恵まれた環境をひけらかす発言をしていたのかもしれない。でも断じてその人を攻撃した覚えはない。というか、攻撃する意味がない。だって職場だろ? 仕事しろよ。

 

恵まれた環境に生まれた。それに感謝して真っ当に生き、人様に迷惑はかけない。ただそれだけなのに「恵まれている」というだけで攻撃したり搾取したりしようとする人は一定数いる。

“いい人=どうでもいい人”という扱いを受ける。仕事でもプライベートでも「真面目ちゃんばかりがバカをみる」経験が多いように思う。長くなるので詳述しないが。

 

いつだったか母親に「よく育ててくれて感謝している。希望の進路に進ませてもらい、そのおかげで仕事を得て何不自由ない暮らしができている。」という旨を伝えたことがあるが、母親から帰ってきたのは「私たちがやったのは衣食住に不自由させないことだけ。それを今につなげたのはあなたの努力だ」という言葉だった。親は子を選べないし子も親を選べない。私は彼女の子どもに生まれて誇らしいと心底思った。

真っ当に育てられても恵まれた環境を食い潰す人もいるし、毒親に育てられても必死の努力で逃げて真面目に生きている人もいる。

あと、これは多大なる偏見だが「クズの子どもがクズになるかは未知数だが、クズの親は高確率でクズである」ということ。数多のクズを引き当ててきた私の経験則。

 

真面目に生きている人間が、ズルく愚かな人間から無為に搾取される世界になってほしくないと思う。そしてそろそろ私も報われていいと思っている。

真面目は真面目でいい。でももう少し好きに生きようぜ。常識の範囲でね。

だって明日死ぬかもしれないし。