旅とごはんと日々の記録。

ねこを飼っています。

素敵な謙遜

神様のギフトってあると思っていて。

お顔の造形が整っている、肌がきれい、背が高いor低い、脚が長い、スポーツや芸術の才能がある、美声である、頭の回転が早い、記憶容量が人並外れて多いなどなど。そういう人たちはギフトが強い。

 

容姿に関しては「外見で人を判断するな」という人もいるけど、そんなのは自分の配偶者を決めるときくらいにして人に押し付けるものでもないと思っている。だって橋本環奈をみて美しいとため息をつき、冨永愛のスタイルに見惚れて、三石琴乃の声に胸を締め付けられるとき、いつもと違う幸せを感じないか? 私は感じる。

 

高校の同級生でHさんという女性がいた。肌が白くて目鼻立ちが整っていて背が小さく色素の薄い髪色とパステルカラーの洋服が似合う。まさにお人形さんみたいな女の子。ただ私は同じクラスになったこともなくほとんど話す機会はなかった。

けれど卒業式の時、意を決して「Hさんとても可愛いね」と伝えた。今では唐突にそんなことを言って困らせて申し訳なかったと反省している。彼女は本当に可憐でかわいくて、当時の私はなんとかそのことを本人に自分の思いとして伝えたかったんだよ。もちろん本人が自分をかわいいと認識していることは当然のこととして。

Hさんはそんな不審な私に嫌な顔せずニコッと笑って「うふふ、ありがとう」と言ってくれた。それまで“褒められたら謙遜や否定するもの”と思っていた私にはとんでもない衝撃だった。

かわいい人の素直な反応はこんなにもあったかい気持ちになれるものかと。言われ慣れているからというのもあるとは思うが、私の“かわいいと思った”気持ちを無駄にしない、否定しない、感謝の言葉で返す。単純に嬉しかった。

 

流石に私はそこまでの美貌は持ち合わせていないのだが、たまに容姿をお褒めいただくこともある。そんな時に相手の気持ちをあったかくさせるような素敵な謙遜ができたらいいな、と思ってはいるがこれが中々。

「お褒めいただいてうれしいです」が今の所の私の最適解。ただHさんのようにフランクには返せず、オドオドビクビクしながらだけど。

 

いつだったか、長澤まさみが脚の長さを褒められて「そこは両親に感謝ですね」と返していたのもお見事だった。そうだな...脚の細さはどうにかなっても長さは努力では厳しいものがあるよな。

容姿に限らず、褒めてもらった時には、過ぎた謙遜ではなく素敵な謙遜ができる大人になりたい。